山田村の想い

menu

私たちは皆さまを
ちょっと元気にします

「私たちは皆さまをちょっと元気にします」
これが山田村のモットーです。
ものづくりの根底にある楽しさと遊び心を大切に、
食を通じて、皆さまに元気と笑顔を届けます。

山田村

山田村のはじまり

戦後銀行員をしていた祖父、山田茂一が脱サラして粉屋をはじめるが、大手製粉メーカーが台頭し商売を圧迫する。そこで祖父は小麦を使ってできる商売は何かと考え、廃工場より煙突をもらってきて、その煙突を横にして窯を作り、パンを焼き、売り歩いた。現在メジャーなツイストドーナツは、祖父が考えたと言っていた。形成に失敗したドーナツをひねっていたと言っていたのを覚えている。そんな中、米の配給所の免許が取れる話が舞い込み、大和町配給所を創業することとなる。
40代なかごろ2代目となった父、茂宏は、その社交性と決断力を買われ岡山米穀小売商組合理事長を長く務める。当時珍しかった店頭精米も導入。米が自由化される過渡期には、いち早く集荷に走り、1993年の米騒動では、潤沢な供給体制で顧客を増やした。その後、米の自由化によるスーパー、ドラッグストアでの販売の波に押され、米専門店の需要低下と後継者不足で厳しい業界となり、粉屋メーカー台頭以来、事業展開を考えなければいけない時期となった。
3代目としてのチャレンジが米を炊くことだった。美味しいお米を選んでいただくには、まずはその味を知ってもらおう。おにぎり店は米屋のアンテナショップとしてのスタートだった。

山田村本店は町のお米屋さん

自分を救ってくれたおにぎり

きっかけは単純で、米屋で扱っているお米を炊いてやろうという思いからだった。そうすることで一歩お客様に近づける気がした。おにぎりはコンビニエンスストアでは主力商品。おにぎり専門店も都市圏を中心にして定着している。米屋がおにぎりを提案してもいいのではないか。厳選したお米を使って作ったらおいしいおにぎりができると思った。飲食店営業は全くの素人で、おいしいものを作ったら売れるとしか思っていなかった。宣伝もせず、店構えも質素で、スタートした。
しかし、おいしいものを作るだけでは駄目で、それを知ってもらって食べてもらわないとおいしいとわかってもらえないし、売れない。認知されるまで時間がかかった。おにぎりの売り上げは、徐々に上がっていったが、本業の米穀販売に関しては右肩下がりで、なかなか利益が出ない状況だった。
そんなとき、初めての多店舗展開である「さんすて岡山」出店の話が舞い込んできた。これはチャンスと思い、寝る間も惜しんで頑張った。準備、資金繰りに追われ、睡眠時間も短く、疲労困ぱい。まさに「めしものどを通らない」状態にまでなった。なにも食べないわけにはいかないので、厨房の余ったご飯で、ひとつおにぎりを握った。米がおなかに入って、妙に気持ちがおちついて、ほっとした。自分で作ったおにぎりで自分が癒された体験だった。おにぎりの本質がわかった気がした。おにぎりは人をちょっと元気にしてくれる食べ物なのではないだろうか。まったく当たり前のことだが、意識していなかった。新しい店舗を作っていくにあたり「おにぎりを食べてもらってお客さんに元気になってもらう」ことをテーマにしたいと思った。

3代目店主/代表取締役山田恒一郎

私たちは皆さまを
ちょっと元気にします

おにぎりをおいしく食べていただき、ちょっと元気になっていただくには、まずスタッフが元気でないとはじまらない。まず私たちが元気であることが一番大切だ。無理せず働ける環境、活気あふれる職場で、元気にお客様に接する。おにぎりが元気の源になるよう、心を込めて握っている。
楽しい雰囲気づくりも大切にしている。米屋として、おにぎり専門店としてできることを形にしたブランド、yamadamura+「ヤマダムラプラス」では、DO THE RICE THINGというフレーズを核として、米にかかわる、楽しいこと、面白いこと、新しいことにチャレンジしている。
山田村のおにぎりを食べてくれた人、山田村のスタッフと話をしてくれた人、山田村の商品やグッズ、販促物を見たり手に取ってくれた人が、ちょっと元気になってくれると最高に嬉しい。

山田村に来てくれたお客さんが
ちょっと元気になりますように

山田村ではデザイナーやほかのお店とコラボして
新商品やグッズの開発、アート作品のデザイン制作をしています。
自分だけではできないことも、誰かとならできる。
人と人をむすび、ものづくりを楽しみたいと思っています。

詳しく見る